その瞬間の感動

附得今日的演讲稿子与所说的照片。以作纪念。题材是在日本的相片几枚。选得并不是我最爱,却是比较特别,能用言语描述的。

私が一番好きな日本の映画監督は、岩井俊二です。
どうしてっと聞かれたら、私はいつもこう答えます。岩井監督の映画は どの場面も 一枚の写真みたいだから・・・、そして、その一枚の写真から 監督の心が伝わってくるからだと・・・。私には 彼の映画が 一冊の写真集のように見えるのです。

私は大学卒業後、期待と不安を胸にだいて、日本へ発ちました。金沢で、英語の教師として 働くためでした。そして、その1年の間、暇をみつけては、小さいカメラを片手に よく旅に出かけました。札幌から広島まで 本当にいろいろな所に行ったものだと思います。日本で撮った写真を見ると、その時の私の気持ちや感動が鮮やかに蘇ってきます。それは、まるで、昔見た映画を見ているようで、もう一度感動したり、思い出し笑いをしたり・・・時には 新しい発見をすることもあります。
つなげれば 一本の映画ができてしまうほど たくさん撮った写真の中から、私の最も思い出深い写真を 5枚選んでみました。


 
先ず、一枚目は 広島の原爆ドームの写真です。
2003年7月13日、大阪国際空港に着いた私は、知り合ったばかりの同僚と一緒に、新幹線に飛び乗って 広島へ向かいました。今思うと、言葉もわからない 見ず知らずの国で よくこんな大胆なことができたものだと思いますが、忘れられない日本の第一日目のことでした。平和記念資料館を出てから 私達はしばらくだまったまま歩きました。中国で生まれた私は、小学校の授業に 第二次世界大戦の歴史があって、日本は中国を侵略した国だ と習いました。でも、広島を訪れてみて、日本にも 戦争の悲しみや苦しみがあったことを知りました。
気がつくと 目の前に原爆ドームがありました。原爆で破損したという悲惨な姿のドームを 呆然と眺めているうちに、ドームのまわりの小さな白い花が目に入りました。翡翠色の草の中で 活き活きと元気に咲いているその花を見て、この町も元気に生きているわ、と思いました。

二枚目は、東京での写真です。
友だちと銀座から六本木まで買物に行った帰り、原宿から新宿まで 一人で歩いたことがありました。
ニューヨークやパリや東京などの大きい都市は どこも同じだなんて、だれが言ったんでしょう。こんなにたくさん歩いても 東京には まだまだ違う顔があるのに・・・と思ったものです。ある日、銀座のあるデパートの前で その写真を撮りました。雨の日のたそがれ、にぎやかな交差点を 傘をさして急ぐ人々・・・ 雨の東京は いつもより魅力的に見えました。

三枚目は、私が大好きな京都の写真です。
にぎやかな東京もいいけれど、私はやっぱりゆったりした感じの京都が好きです。それに、行くたびに違うので、何度行ってもあきません。私が初めて京都に行ったのは、11月も 終わるころでした。今年最後とばかりに 赤や黄色の着物を着た嵐山の美しさは まるで一枚の絵のようでした。
金閣寺も 清水寺も 山奥の小さな寺も、みんなこの町の伝統を守っています。お寺ばかりでなく、博物館、祇園の舞台、古い手工芸館、どこへ行っても 京都の歴史と伝統が感じられます。ふと見ると、平安神宮の大門の欄干に腰掛けているおばあさんの姿がありました。おばあさんの前は大通りで 車がビュンビュン走っていて、背景で 大きな鳥居が
建っています。思わず、カメラのシャッターを押しました。写真の中のおばあさんと、車と、鳥居・・・ おばあさんも鳥居も この町の歴史を ずっと見守ってきたに 違いないと 実感した一瞬でした。

四枚目の写真は 私の手のひらの 桜の花です。
私が住んでいた金沢では、三月の終わりころから 桜が ちらほら咲き始めました。
桜を見たことがなかった私は、ある日、毎日通勤の途中の小さな神社で かわいいピンクの蕾を見つけた時、いったい何の花だろうと思いました。
1週間もすると、あちこちで その花が咲き始めました。そして、それが、初めて見る 桜でした。
私は 子どものようにはしゃいで、週末にいろいろな公園に行っては 桜の写真を撮りまくっていました。満開の桜は とても綺麗で まるで天国に行った夢をみているようでした。でも、目が覚めると、枝には花の姿がなく、代わりに小さい緑の葉っぱが出ていました。そして、歩道が落ちた花びらで 覆われていました。
真っ青な空にむかって 咲きほこる満開の桜の前で撮った、手の中の小さい桜の花の写真は、はかない美しさを 教えてくれました。

いよいよ最後の写真になってしまいました。
いろいろな所に行ったけれど、一番好きなところは やっぱり金沢です。
英語を教えるのは 仕事だったけれど、毎日かわいい子供達と会って、いっしょに遊べて、とても楽しかったです。そして、子供達が 見せてくれる くったくのない笑顔は 私にとって 何よりも感動的で 美しいものでした。だから、最後の一枚、5枚目の写真は、金沢の学校で生徒達と一緒に撮った写真です。

これで、私の写真の紹介は 終わりです。岩井俊二監督の映画のようには いかないけれど、本日の私の映画はいかがでしたか。

简短版。最初写的稿子,剪掉一半,才得以压到4分钟之内。

私が一番好きな映画監督は、岩井俊二です。
どうしてっと聞かれたら、私はいつもこう答えます。岩井監督の映画はどの場面もいちまいの写真みたいだから・・・、私にはかれの映画が一冊の写真集のように見えるのです。

私は、大学をそつぎょうしてから1年間英語の教師として、日本に滞在しました。
その時に撮った写真を見ると、まるで、昔の映画を見ているようにいろいろなことが思い出されます。つなげれば一本の映画ができてしまうほどたくさん撮った写真の中から、今日は4枚だけ紹介させて頂きたいと思います。

先ず、一枚目は広島原爆ドームの写真です。
2003年7月13日、大阪国際空港に着いた私は、その足ですぐ広島の平和記念資料館に行きました。小学生の時、学校で 日本は中国を侵略したと習いましたが、日本人も戦争で苦しんでいたことがよくわかりました。資料館を出てぼんやり歩いていると、目の前に原爆ドームがありました。原爆で破損したという悲惨なドームの周りには、小さなしろい花が元気に咲いていました。私は、この町も元気にいきているわ、と思いました。

二枚目は東京銀座のあるデパートの前で撮った写真です。
東京は私にとってあこがれの町でした。いろいろな顔がある東京の町の中で、カラフルなかさをさした人々がさっそうと歩く雨の銀座は、とても魅力的に見えました。

三枚目は、私が大好きな京都の写真です。
平安神宮に行ったとき、大門の欄干に腰掛けているおばあさんがいました。
おばあさんと大きな鳥居の間の大通りを、車がビュンビュンはしっていました。思わず、カメラのシャッターを押しました。おばあさんも、鳥居も、この町の歴史をずっと見守ってきたに違いないと思った一瞬でした。

四枚目の写真は、私の手のひらの桜の花です。
私が住んでいた金沢で、私は初めて桜を見ました。満開の桜の美しさは、まるで天国に行った夢をみているようでした。でも、夢から覚めると、桜の花は散ってしまって、歩道を真っ白に覆っていました。
真っ青な空にむかって咲いている 満開の桜の前で撮った、手の中の小さい桜の花の写真は、はかない美しさをものがたっているようです。

岩井俊二監督のようにはいかないけれど、本日の私の映画はいかがでしたでしょうか。


Comments

6 responses to “その瞬間の感動”

  1. すごい~~おめでとう!*^-^*

  2. jiajia,le langue de japonnaise est dur pour moi.je comprend rien.:)
    看不明白日文,所以也用法文发泄下,;)
    喜欢手捧樱花花瓣那张

  3. 可惜我是什么都看不懂呀,除了图片,日文法文,瞎猜吧!

  4. JIAJIA我去拔掉牙齿了.原来那么痛苦的.

  5. 我也很喜欢岩井俊二的作品,尤其是东京日和,不过你的映画也不错。另外,我也很向往能够去京都去静静的体会一下

  6. 嗯,JIAJIA.最近好忙呀?
    注意身体。^_^

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